2005/02/02 ニュージーランド紀行・地獄変 序章 |
自慢じゃないですけど、実はうちって秀才の家系だったんだ、籐太です。
俺は高卒だけどな!
驚いたことにですね、うちの弟が生意気にも留学なんてしやがったんですよ、ニュージーランドへ。
まあ、うちの母上様は心配性なものですから、わざわざニュージーランドまで様子を見に行くと言い出したわけです。とはいえ、さすがに1人で海外に行くのは怖いらしく私に……
『どうせ、あんた失業(ヒマ)やろ? もう飛行機とったから』
と、強制連行決定です。
しかも打ち合わせに実家へ帰ってみれば、ニュージーランドの観光ガイドがどっさり。
真の目的はそっちか……!
まあ、せっかく親の金で海外旅行できるチャンスなので、行ってこようと思います。
ちなみにニュージーランドは南半球に位置するので現在、季節は夏。
当方に海パンの用意あり
弟はどうでもいいので、とりあえず日本の皆さんに先駆けて夏を堪能してくるつもりであります!
それにしても、自分の金で海外旅行できる日が来ることはあるのか……と頭を抱える、籐太でした。 |
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2005/02/12 ニュージーランド紀行・地獄変 第1回 |
やっと帰国。やっぱり日本が一番ですね、籐太です。
いやはや、ニュージーランドは遠い、遠すぎます。なんせ飛行機で12時間ですよ、12時間。正直、腰とケツが痛い。
それでも、やはり楽しかった海外旅行。
眉間にタテじわはしばらく『ニュージーランド紀行編』へ突入しようと思います。
それは2月2日、出発日前日のこと――
私は同行する母上殿に呼び出され、その日のうちに実家まで来るよう要請を受けました。まあ、出発は明日。きっと朝早いのでしょう。それなら一緒に出たほうが効率がいいのは確かです。
さて、天気は晴れ。私はバイクにまたがり、とりあえず実家まで行くことにしました。が……
京都に入る頃、突然、雪が降り始め、さらに山を越えたところでは豪雪。バイクにとって、雪は天敵です。
当然、こんな日にバイクに乗っている愚か者は私だけ。通行人の哀れむような視線を感じつつも、命からがら実家に到着。
出迎えてくれた母上殿に私は一応、訪ねてみます。
「そういえば、明日、飛行機って何時に出るの?」
「ん? 19時やで」
「え?」
「それに明日は晴れやって。よかったわぁ、出発日がええ天気で」
え〜っと、私が来るの……
当日でええやん
とはいえ、兄弟はすでに全員、実家を離れており、母上殿も寂しかったのでしょう。少しでも長い時間、息子と一緒に過ごしたいという気持ちはわからないでもありません。
その後、母は外食へ連れて行ってくれると言い出します。この雪の中、母上の運転で……
はっきり言って、母は車の運転が激ヘタだ。
「雪やし、安全運転で行くわ〜」
と言う母上殿は、狭い道では対向車が現れるたびに急ブレーキ、急ブレーキである。雪の中、それがどれだけ危険な行為か、彼女はわかっていない。
たった5kmほど走る間に、2度ほど事故りかける。
さらに、電光掲示に、気温がマイナスであることを示す表示が。こりゃ、路面が凍結してるかもなぁ〜と、シートベルトを確認していると、母上殿がおもむろにハンドル左のレバーを引き……
「あっ!」
声を上げる間もなく……シャワー噴射!
もう一度、言う。気温はマイナス。路面より先に……
フロントガラスが凍結!
自殺でもする気か?
そもそも、まだここは日本である。まだ出発もしていないというのに、この波乱ぶり。
激しい不安に襲われたところで……つづく |
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2005/02/13 ニュージーランド紀行・地獄変 第2回 |
最近、母上殿が毎週欠かさず『名探偵ポアロとマープル』を見ていることを知りました。私も見てます、籐太です。
ニュージーランド紀行編、第2回!
いよいよ飛行機に乗って、異国の地へと旅立つわけですが……
関空 → オークランド → クライストチャーチ
という感じで、途中、乗り換えを挟むため、目的地に着くまで15時間ほどかかったわけです。つまり、この日はほぼ飛行機に乗るだけで終了。
機内では、寝るか、本を読むくらいしかやることがなく、事件らしい事件と言えば、機内食を運んできた外人スチュワーデスに……
「Fish or egg?」
と聞かれた母が「オムライス」と答えていたくらいだろうか? ここはレストランではない。
さて、実はニュージーランドやオーストラリアは食べ物の持ち込みに対して、非常に厳しい国なのです。
ニュージーランドでは、バナナはおやつに含まれません。もし、申告なしに食べ物を持ち込もうものなら、いきなり罰金20万円を要求されることもあるそうです。
私は念のため、母上殿に聞きました。
「食べ物、なにも持ってへんやんな?」
「なんか言われたらイヤやから持ってこんようにしたわ」
とのこと。
それを聞いて安心した私は税関を通るとき、一応、荷物を確認させて欲しいと言われても動揺することはありませんでしたよ。
係員が母のトランクを開けます。そのとき、不意打ちのように視界に飛び込んできた『おたふく お好み焼きソース』の文字!
途端に険しくなる係員の顔。
しかし、母の脳内ではお好みソースは食べ物ではなかったらしく「え? あかんの?」とあわてふためき……
「とんかつソース! とんかつソース!」
必死に日本語で説明する、母。
それに何度も言うようだが、入っていたのは『お好み焼きソース』だ。必死だという以外は、きっとなにも伝わっていないだろう。
そもそもなんでそんな物を持ってきていたのか? 甚だ疑問であるが、最後は「japanise
sause」と適当な説明をしたところ、なんとか通過することができた。
ちなみに我々はまだ空港から出ていない。
こんなことで無事、1週間を過ごすことができるのか? というところで、続きます…… |
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2005/02/20 ニュージーランド紀行・地獄変 第3回 |
前回までのあらすじ――
出発日、前日、母に呼び出された私は、凍死しそうになったり、事故死しかけたりしながらも、なんとか実家に辿り着く。
その後、ニュージーランドへ旅立ったものの税関でひっかかり、日本語以外の言語を理解できない母は
「とんかつソース、とんかつソース!」
と叫ぶのだった。
さて、お待たせしました。
『ニュージーランド紀行・地獄変』第3回です。
なんとか、税関を抜けて生還した私と母上殿は、大都市オークランドの地へやってきましたよ。
そこで待ち受けていたのは、信じられないくらい美人のツアーガイド! しかも小雪似です。
おいおい、これから6日間、この人と一緒に旅ができるのかよ、と正直、胸キュンものですよ。
そんな私に、彼女は大切なことを告げるように囁きます。
「じゃあ、国内線乗り継ぎの案内をしますので、そこでお別れです」
俺の胸キュンは30分で終了した。
そんなわけで入国早々――
オークランド(北島) → クライストチャーチ(南島)
へと、またしても飛行機で移動することになりました。
そして、クライストチャーチの空港で私を待ちかまえていたのは、やたら早口でしゃべるおばちゃんガイド。
そこで突然、母上殿が言いました。
「あれ? 弟がいいひんわ」
「はあ?」
うちの弟はニュージーランドへ留学しているのですが、どうやら母上の脳内では、このクライストチャーチ空港で合流する予定だったようなのです。
私は今、知りました。
「この空港に来るように言うてあるねん」
母は言います。
「空港のどこで待ち合わせなんか言ってあんのか?」
聞き返した私に、母上殿は驚いたように……
「あっ」
お願いですから、伝えてください。
仕方がないのでガイドに頼み、英語で迷子のご案内をかけてもらうことになりました。
だが無反応! 恥のかき損ですよ。しかもツアーの出発時間は迫る。
見知らぬ異国の地。ここで待っている、という母を残し、私が1人で弟を捜し出すことに……まあ、結論から言えば、ちゃんと空港内にはいた。
だが、CDウォークマンを聴いていて、迷子のご案内は聞こえなかったらしい。殺すぞ。
それになによりこの男……留学とはいえ、後半は牧場などでバイトをしながらリュックサック一つでニュージーを旅してきたらしい。
そんな彼は、えっ、これが私の弟ですか? ってくらい小汚くたくましくなっていたため、発見が遅れてしまいました。
まあ、2回くらい、前を通り過ぎたんですけどね。あんまりな姿に、さすがにこれはないだろう、と思ってた乞食が弟でした。
こうしてパーティーが3人に増えたところで、次回に続く。
……つーか、まだ空港以外の場所には行ってないというのに、帰りたくてたまらないんですが。
つづく |
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2005/02/22 ニュージーランド紀行・地獄変 第4回 |
前回までのあらすじ――
何度となく危機に襲われながらも奇跡的にニュージーランド入国を果たした、私と母上殿。
しかし、そこに待ち受けていたのは、留学生として先に入国していたはずの弟が乞食と化している姿だった。
引き続き、『ニュージーランド紀行・地獄変』をお送りしています。今回で第4回ですが、まだ空港の外にも出ていません、籐太です。
まあ、なにはともあれ、母上と乞食を連れて、ツアーバスに乗り込みましたよ。
さすがにニュージーランドは自然が豊かで、空の色や海の色が日本とはまったく違いますね。空気の匂いからして違う。
向こうは季節が夏だったということも影響してるかも知れませんけど……あと、日本の夏と一緒でセミが鳴いてました。
南半球にもいるんだって感じですね。
昔行った、ゴビ砂漠では昆虫なんてみかけませんでしたよ。
ただし、走っている車は7〜8割が日本車。
その次に多いのはアメ車でしょうか? ニュージーには自動車産業がないらしく、100%輸入車なのです。
さて、車内に視線を戻します。私は兄として、乞食化した弟に言ってやりましたよ。
「弟よ、そのぼさぼさの頭はなんだ? 兄は悲しい、散髪くらい行きなさい」
「え? 英語で髪型とか説明するのめんどいやん」
おまえはなんのために留学したんだ
っていうか、説明も何もそもそもですね……
「おまえ、留学する前は丸坊主やったやん」
あの髪型にどんな説明が必要だったのか、私には到底、理解不能です。
とはいえ……さすがに半年以上も住んでいただけあって、この乞食、英語だけはペラペラですよ。
バスを降りるときも、ニュージーランド人の運転手に英語でジョークを言って笑わせるとか、別世界の人間のようです。
なのに、丸坊主を英語で説明できないのは、なぜなんだ?
その後、博物館に行って石像にチ●ポがついているのを眺めたり、一両編成の電車に乗ったり、スーパーへ買い物へ行ったりしましたが、結局、その謎は解けないままでした。
とりあえず、ニュージーランド・クライストチャーチのメインストリートに堂々と
『SUSHI』
という看板がいくつもあるのには驚きでした。
店員はなぜか韓国人ばっかりだったけどな。
そして、やっとホテルに着いた辺りで……つづきます。
つづく |
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2005/02/24 ニュージーランド紀行・地獄変 第5回 |
前回までのあらすじ――
四苦八苦しながらもなんとかニュージーランドのホテルへ到着した私と母上と乞食(弟)だったが……
いったいいつまで続くのか? 『ニュージーランド紀行・地獄変』第5回。おみやげに買ってきたチョコレートの食べ過ぎで鼻血が止まりません、籐太です。
さて、やっとこホテルに到着ですよ。こういうところに金を出し惜しみしないのがうちの親のいいところ。自力で泊まることが不可能な高級ホテルです。
だが、3人の中で英語が話せるのは乞食だけ。
ふかふかの絨毯、高そうな壺と絵画が飾られた高級ホテルのロビーで、泊めて欲しいと交渉する乞食。
そんな我々に快く部屋を貸してくれた受付嬢は大物です。
さて、ニュージーランドのホテルではコーヒー・紅茶はセルフサービスで無料。母上はさっそくコーヒーを淹れるよう弟に要求します。
すると、黙って3人ぶんのお茶を淹れてくれた弟はなかなか人間ができています。
母上殿はそのコーヒーを二口ほど飲むと、しばらくしてから……
「コーヒー淹れてくれへん?」
それでも弟は黙って、コーヒーを淹れていましたよ。でもね、またも二口ほど飲んで……
「コーヒー淹れて」
である。
あなたは痴呆が始まった老人ですか?
我々、兄弟が母の身を案じていると、母上殿は……
「だって冷めたから」
さすがの乞食も拾ってやった恩も忘れて、ブチキレですよ。
まったく黙ってホテルにいるだけでも、波乱がつきない家族である。
そしていよいよ、明日辺りから本格的に観光が始まるかなって、辺りで……つづきます。
つづく |
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2005/02/26 ニュージーランド紀行・地獄変 第6回 |
突然ですが、仕事が入りました。
今日の夜、夜行バスに乗って東京へ。そのまま、3ヶ月ほど帰ってこない予定なので忙しくなります。
一応、ネット環境はあるので更新は続けていく予定です。
さて、とっとと終われ、と思いながらもまだまだ続く『ニュージーランド紀行・地獄変』第6回。
ホテルを出ると、なにかよくわからないうちにバスに乗せられ、そのまま延々と牧草地が続く高速道路へ出ましたよ。
高速といっても、ニュージーランドで通行料を求められることはありません。つまり、タダ。
そもそも、高速のすぐ脇には牧場が広がり、羊、牛、馬はもちろんのこと、鹿やダチョウまで飼われています。
どうやらニュージーランドでダチョウは動物園で見るものではなく、食卓においしそうに並ぶ一品として認識されているようです。
鹿はともかく……ダチョウの肉っておいしいんでしょうか?
その後、ジェットボートと呼ばれる、ぐるぐる360°回転しながら川を疾走する船に乗ったり、人口1人の村を通過したり、羊の毛皮を根こそぎむしるところを見学したりしながら、1日が過ぎていきました。
この日はなんだかんだで6時間ほどバスに乗っていたと思います。
さらに翌日はまた移動日。
クライストチャーチ → マウント・クック(ニュージーランドの富士山) → クイーンズタウン
へと今度は8時間以上もバスに揺られることとなりました。
その間、居眠りするか飯を食うか、ぐらいしかやることがなく、仕方がないので突然、海パンに着替えてやりましたよ。
そのまま、休憩で立ち寄った湖へダイブ!
日本は冬でもニュージーランドは夏。でも泳いでいるのは俺1人。氷山から雪解け水が流れ込んでくる湖は、夏でも水温が10度以下なのだ。
15分後―― バスの出発時間が迫って呼び出されたときは、夏だというのに凍死寸前。
そんなこんなで長旅の末、クイーンズタウンに到着、という辺りで……つづきます。
つづく |
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